土偶とは、縄文時代に作られた土人形のこと。 有名なところで、宇宙人みたいな目をしたものや顔がハート形になったものをイメージすると思う。なんたって教科書に載ってるぐらいだし。 しかし、松阪市・粥見井尻遺跡で発見された土偶は、かろうじて土偶と分かる程度のシンプルなもの。いちおう頭やおっぱいらしきものがあるようだ。
国道368号のバイパス建設工事によって偶然見つかった粥見井尻遺跡(かゆみいじりいせき)。 今は遺跡公園となっており、竪穴住居が大小2つもあって、野外だからか、かなり大音響で聞くことのできる展示ボードも設置されている。 公園というよりは展示物の中で遊べるようになっている、といったほうが近いかも。
さて粥見井尻遺跡だが、縄文時代が始まって間もないころの住居群だそうだ。竪穴住居は、直径が4~6m程度の円型で、4棟がかたまって建てられていることから、この時期にもうすでに「定住」しはじめているということがわかった。 これまでは(といっても旧石器時代のことだが)、食物が減ったり、まわりが汚れたり壊れたり、また嫌なことや気まずいことがあれば、場所や仲間を変えればよかったが、定住となると話は別。
衛生面や人間関係の問題が出てくるようになり、その解決のために宗教や呪術、タブーが発達したと言われている。 昔も今も、人が集まればいさかいが起こるもの。なんというか、ちょっと親近感が湧いてきた。
そんな時代の住居跡から、土偶が発見された。土偶というのは、遺跡から完全な状態で出土するのはまれだと言われ、ほとんどは壊された状態で発見されるという。 土偶は、頭部・腕・胸部・臀部・脚部を別々に作り、それらを組み合わせて一体にするが、「まつり」の際に土偶を壊し、人々は壊れた一部を持ち帰って、住居に埋めたり、ムラの各所に納めたりしていたという。
そう、土偶は壊されることを前提として作られていたというわけだ。 作られることによって魂が宿ると考えられ、その霊魂をいろんな場所に配置することで、よみがえりの力を受けられると考えられているのだ。
土偶は県の有形文化財に指定され、遺跡自体も県の史跡になっている。 夏には、この場所で遺跡まつりが開催され、土器づくりや矢じりづくり、火おこし体験など様々なイベントが行われている。 イベントを通じて、この時代の人たちの暮らしを知り、体験するのも面白い。お子さん連れでぜひ参加してみて。
粥見井尻遺跡の竪穴住居は、地面を60cmほど掘り込み、周囲には小穴があることから壁際に柱を立て、草などをかけて屋根にしたテント状の住居だったと思われる。
土偶は発見当時、日本最古の土偶とされ、全国から注目された。女性の上半身をかたどった全長6.8cmの小さな土偶で、まだ目鼻口はない。
現在は「粥見井尻遺跡公園」になっている。遺跡のまわりには茶畑が広がり、のどかな場所。櫛田川そばで、縄文人たちが豊かに暮らしていたのだろう。
土偶は、旧石器時代にはなく、定住を始めた縄文時代に流行し、農耕を始めた弥生時代には消滅したという。それはなぜか、まだまだ謎はつきない…。
コンシェルジュライター 宍戸厚美さん
夏休みの恒例、といえば、粥見井尻遺跡跡公園で行われる「飯南粥見の遺跡まつり」。 古代の火起こし体験や土器・土偶・まが玉作り、弓矢遊びなど、縄文人の生活を体験するイベントです。 何でも便利になった現代、人間がたくましく生きてきたことを実感してみるのも、ときには必要かもしれません。